わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。
[ マタイ25章40節 ]
人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。
『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。
『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。
『はっきり言っておく。
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
愛は「愛着・執着・愛執」の意味で使われる事が多々あります。
イエス・キリストの”愛”は、それとは違い「大切な思い」「懇切」「慈悲」等と訳されます。
イエス・キリストの愛の精神とは、「大切に思う精神」「親切にする精神」「慈悲の心で接する精神」と言い換えても良いと考えています。
愛の精神による診療・・・・・
私たちは、常に思い感じながら患者さまと接していきたいと考えています。
聖マリアハートクリニック 吉田 一弘